体験記の朗読と映像でつづる「山の手大空襲の体験を語る会」
シニア・エージ特別セミナーとして、山の手大空襲の体験を語る「表参道が燃えた日」のイベントが11月5日(水)午後1時半から、東京三田の慶応大学キャンパスの「北館ホール」で開催されました。
風化しつつある「戦争体験」を語り継ごうと、今年の3月に出版された『表参道が燃えた日』の執筆者が直接聴衆に語りかけるイベントのプロローグは、米空軍が撮影した衝撃的な映像から始まりました。特別セミナーの構成・演出を担当した映画監督の小栗謙一さんがアメリカで入手した映像は、太平洋戦争末期にサイパン島などから日本に向けて出撃した、B29爆撃機の準備の様子をはじめ、東京などの都市に爆弾を落とす様子、工場地帯や走行中の列車に機銃掃射を浴びせる様子などが、攻撃している飛行機から生々しく撮影されていました。
そして、NHKラジオ深夜便の人気アンカー宇田川清江さんの司会で、第1部は体験記の朗読、第2部は、6人の体験者が、それぞれの体験を生々しく語りました。炎に追われて、どぶ川に飛び込んで必死に逃げたこと、家族の焼死体を探しまわった体験など63年前の出来事を、昨日のことのように生々しく語りました。
昭和19年の11月から東京には、米空軍B29による空襲が毎日のようにありましたが、特に大規模な空襲は3回ありました。1回目は昭和20年3月10日に、江東区、墨田区、台東区など下町の大空襲で約11万人以上の犠牲者を出しました。そして2回目は豊島区、北区、文京区の1部、新宿区の1部などの大空襲で、3回目は5月24日、25日の港区、渋谷区、千代田区など山の手の大空襲で、青山、赤坂などが大きな被害を受けました。これで、東京の大部分は焼け野原になったのです。
表参道は、現在、ケヤキの並木が見事に茂り、赤、青、黄など色とりどりの電飾が輝き、最新のフアッションに身を包んだ若者が闊歩していますが、63年前には一面の焼け野原となり、焼夷弾の炎に追われた人々が必死で逃げ回り、青山通りとの角の旧安田銀行前には黒こげの焼死体が山のようになっていました。ケヤキ並木も焼夷弾の炎で焼けて幹だけになっていました。
昨年の1月、表参道と青山通りの交差点の「みずほ銀行」前に慰霊碑が建てられましたが、気づく人は少ないようです。
高齢のため朗読できない執筆者に代わって体験記を代読した男子大学生(22歳)は「今回の会に参加して初めて表参道の空襲被害を知った。自分たちの仲間もほとんどは知らないと思うので、これからは、皆に話して語り伝えたい」と話していました。
入場者は約130人で、アンケートには30人程が寄せてくださり、ほとんどの方が「大変良かった」という評価でした。70歳以上の方が多かったのですが、「当時6年生で疎開していたので怖い体験はせず、親にも聞かなかったのですが、今回、初めて体験された方々の話を伺い、本当に戦争の恐ろしさを知りました」「すばらしい企画だったと思います。もっと大勢の方々に聞いて頂きたいと思います」「歴史の証人の言葉の大切さを感じました」
「小学校3年生の社会科で『表参道が焼けた日』の本を活用しましたが、今日は、体験者の生の声を直接聞くことができてよかった」、また20歳の学生さんは「こうした話を私たち若者が聞く機会はほとんどないので、貴重な体験だった」などの感想が寄せられました。