明治28年生まれの母のノートがある。平成12年の今日3月25日に他界した兄が残したものの中にあった。このボロボロの、虫が出てきそうなノートは母が、妻、母になってからの切り抜きのファイル。計算するのに手間どるほど昔、もう80年近くも
前の「歴史もの」になる。母は小笠原父島の島娘。東京の共立女史職業学校に単身留学。「ひとくち坂を上ってね、神田の学校まで歩いたのよ」と、市ヶ谷に下宿していたらしい母の、思い出話は何度か聞いている。袴姿で、靴は履いていたのかしらん。そう言えば、今も私の手許にある母の針箱にお裁縫学校に通っていたらしい名残りの、袴の紐の結び目のパターン練習がある。大分使い込んだらしい象牙の篦(ヘラ)も、未だある。さてこのノート、どうも、兄の幾何のノートを利用して貼っていたらしい。貧しかったのか、モノが無い時代だったのか。隙間なくファイルされている記事は「賢い主婦」を目指しているもの。新聞の切り抜きだと思われるのだが、全部ルビ付き。もちろん旧仮名遣い。母が母だった姿と、大正の終わりから昭和初期の生活(殊に女性の)がこの一冊に凝縮されているようで、捨てがたい。*こんな記事がある。◎「台所経済の大事な鍵」卵ひとつ買ふにも上手下手がある。金銭本位の買ひ方はご損。◎お子さん方によもぎ餅ー虫下しの役目もするー ◎美貌といっても皮膚が根柢(日本人の顔を醫學的に観る)◎餘り褒められない前齒の金ピカー入れ齒の詮議ー ◎考へたり母乳の壜詰 ◎女性文化(学問は邪魔か)(冷笑に勝つ)(寄附金の袋)(ある栄養論者)◎姑に學ぶ 等々。
09年03月26日 09:55:25
昨日は兄上様のご命日だったのですか。その日に母上のノートをひもく、、。母上と兄上への敬慕の念が伝わってまいります。後半の記事のタイトル、すべて、なかなか味わい深いですね。