「大使のお嬢さんエルシィとライオンさんの婚約祝いに、おかる勘平道行きは、少しおかしいと思いませんか?勘平は最後に腹を切るんです。それをなぜ選んだのでしょう?」
疑問に思った貞吉は、進行役を務めるドューマン書記官にたずねた。
「いや、いや、船山さん。この道行きには身を売ってまで男に尽くそうという日本女性の献身的な愛がみられるのです」
ドューマンとおこうは顔見知りで、二人は久しぶりの関西弁で話に夢中になった間柄であり、ドューマンの気さくな人柄に貞吉も初対面のときから好感を抱いていた。
日本の歴史、社会についての博識は群を抜き、日本人のメンタリティにもよく通じていて、グルー大使の右腕として大使館では欠かせない貴重な人材だった。
後年、グルーとともに終戦時の日本の将来に大きく関わってくる親日派の外交官だ。
いよいよ上演の日がきた。舞台は公邸の大広間があてられた。終戦後、天皇とマッカーサーの会見の場になった広間だ。
『仮名手本忠臣蔵』は、あの赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、見事本懐を遂げた史実を復讐劇に仕立てた歌舞伎の外題である。
アメリカ大使館の館員たちが、なぜこれを採り上げたのか。彼らの日本人観をみるためにも、少し長くなるが内容を記さしていただきたい。
先ず配役は、勘平を、H・ベニングホフ書記官。彼は昭和の初期に早稲田大学で英語講師の経験があった。
おかるは、C・コビィル書記官。語学研修生として日本に派遣され、外交官試験にパスした未だ三十代のハンサムな青年外交官。
鷺坂伴内は、W・タァナー書記官。宣教師を両親として1900年に神戸で生まれ、やはり語学研修生から外交官になり、戦後再び駐日アメリカ大使館に勤務している。
判官の妻に横恋慕をした高師直(こうのもろなお・吉良上野介)から数々の嫌がらせを受けた塩冶(えんや)判官は、ついに堪忍袋の緒を切り、殿中松の廊下で刀を抜き、斬りつけたが、取り押さえられ、無念の切腹。お家は断絶。残された家臣たちは家老の大星由良之介(大石蔵之介)を頭領にして亡君の復讐を誓い合った。
しかし、このお家の大事のときに恋仲にあった家臣の一人、早野勘平と腰元のおかるの二人は、おかるの里へ逃避行せざるを得なかった。すなわち、おかる勘平の道行き、三段目返しである。
落人も見るかや野辺に若草の、薄尾花はなけれども、世を忍び路の旅衣.……
と、ここで清元浄瑠璃が入るところだが、ドューマンはギリシャ悲劇のコーラスのように、朗々と声を張り上げ、日本語で朗読する。
もちろん役者たちは全員、日本語の台詞をよどみなく喋った。
グルー大使たちの手元には英語版が配られていて、興味深げに舞台を見つめている。